沈黙
今、わたしはあなたに伝えたい。
わたしの名は“熟考の怪物”。
色のついた目を持っている。
わたしは実感をもたらしてくれるものを探していた。
それが“愛”だと自分に言い聞かせて。
心の中で何かが音をたてて崩れていった。
あなたのゆりかごの中で私はそれを聞いたんだ。
出ておいで。ゆりかごから出ておいで。
あなたの名は“煩悩の怪物”。
欲望に囚われている。
疑うものは何もないと思っていた。
だけど、あなたが影の中に立っているのをわたしは見てしまったんだ。
あなたは実感をもたらしてくれるものを探していた。
それが“愛”だと自分に言い聞かせて。
心の中で何かが音をたてて崩れていった。
あなたのゆりかごの中で私はそれを聞いたんだ。
わたしの心は沈黙してしまう。
かつては自分のものであった“解放の力”に。
わたしには見えない。
ずっと探し求めていた答えがそこにあるのに。
(『Mind keeps silence』和訳)
卵
この白くて中途半端に固い殻におおわれた球とも円錐とも言い難い物体。
そう、これが卵であります。
多くの卵はあたためてありますから、内部はとてもやわらく、もろく、くずれやすくなっております。
ですからそっと扱わなくてはなりません。
乱暴にしてはいけませんよ。
そっと両手で包みこみ、外部からの衝撃を無にするのです。
やがてあなたはこの卵が生命であることに気がつくでしょう。
よく見てごらんなさい。
中途半端に固い殻のすぐ内側にはゼリー状のとてもいごごちのよい白身があります。
さらにその内側には完全な球体をした黄身が収まっているのがわかるはずです。
知っていましたか。
この黄身こそが、あなたの世界そのものなのです。
黄身の中心、つまり卵全体の中心に小さくうずくまるようにして存在しているのが、そう、あなた自身なのです。
卵
白くてゼリー状の白身と完全な球体をした黄身にかこまれて、小さくまとまっているが君。
白身は固いとも柔らかいとも言い難い中途半端な成り立ちの殻におおわれている。
殻の向こうは、恐ろしい黴菌の世界。
黴菌を吸い込まないためにも君は、
中途半端な成り立ちの殻と、ゼリー状の白身と、完全な球体をした黄身にかこまれて、
小さくまとまっていなければならないのだ。
霜柱
日陰の霜柱は昼ちかくまで融けずに残っている。
そのため多くの人間に踏まれて半分は潰されてしまう。
残りの霜柱も午後には融けて惨めな姿になってしまう。
それでも霜柱は夜明け前に再び立ち上がる。
何度も何度も立ち上がる。
それを僕は見ている。
何度も何度も立ち上がる日陰の霜柱を。
さかあがりの出来ない少年
さかあがりの出来ない少年が、何度も空に向かって砂を蹴り上げている。
鉄のにおいといい、昼下がりの暑さといい、まさに逃れられない夢のようではないか。
そんなに首を反らせていては、永遠にさかあがりは出来ないだろう。
と、傍観者である私は思う。
蹴り上げる。
地面に落ちる。
蹴り上げる。
地面に落ちる。
もうすぐ夕方だぞ。
そんなことでいいのか少年よ。
蹴り上げる。
地面に落ちる。
蹴り上げる。
地面に落ちる。
蹴り上げる。
地面に落ちる。
蹴り上げる。
地面に落ちる。
さかあがりの出来ない少年が、終わりのない始まりを語り続けている。
さかあがりの出来ない少年が、
さかあがりの出来ない少年が、
その さかあがりの出来ない少年が。
箱
その箱は閉じられている。
だからといって入口が無いというわけでもないらしい。
ゆさぶってみた。
ガラガラいった。
中に何かが入っているらしい。
中を見てみたいと思う。
見たくないとも思う。
ゆさぶってみた。
ガラガラいった。
そんなわけで、
その箱はまだ閉じられている。
うすべに
学校からの帰り道
わたしはランドセルを背負って歩いています
空気は暖かくて桜の花がわたしを迎えてくれます
どこまでもまっすぐな道
花たちはわたしを見下ろしています
うすべにの花びらが午後の光に輝いて
わたしの涙は止まりません
うすべに
長い坂道を登ってゆくと
恐ろしいほどに満開の
桜の花が まっている
じっと黙ったままで
わたしが来るまで まっている
散ってゆく花びらにわたしは
両方の手を差しのべる
だけれども
散ってゆく花びらは指の間をすり抜けて
わたしの手のひらには留まらない
死
彼女はいつでも私の真後ろに立っている
長いおさげを自慢げにたらし
赤いワンピースを着た少女
右手には大きな風船を持って
わたしにそれを見せびらかしている
風船はどんどん大きくなって
やがて彼女は手を放す
彼女はそれをわたしに見せびらかしたいのだ
手放した風船は空へ高く高く昇って
もう二度と元には戻らない
死
暗幕が降りている
私の横には女がいて
彼女は絶え間なく喋っている
私は女の声が聞こえないふりをしている
本当はよく聞こえている
女が鬱陶しい
幕はまだ上がらない
幕が上がれば
舞台の中央に立って
私は私の芝居をすればよいのだ
そして女が喋っていたことは
すぐに忘れしまうだろう